坂の街と言われている長崎。天主堂前の坂道もかなり急で、その坂を見上げて「うわ〜」ときーまま様と思わず言っていました。

平和祈念像から10分ほど歩いたところに爆心地から500mしか離れていなかったという『浦上天主堂』があります。赤レンガの色がきれいな天主堂ですが、原爆にあった時には原形をとどめないほどに破壊された建物で後に再建されました。天主堂横の売店に展示されていた原爆にあう前の写真を見ると、破壊される前とほとんど変わらない形で再建されたことがわかりました。
この天主堂の少し手前には被爆した石像が置かれています。
きれいな青空と周囲の緑を見ると何事もなかったかのように見えますが、熱線で黒く焦げた石像からは原爆のすさまじさが感じられます。レポを作っていて写真を拡大して見た時にも恐怖感が湧いてきました。

石像からも十分原爆のすさまじさを感じられるのですが、もうひとつ、ここにはそれを感じられるものがあります。天主堂下に原爆で35mも吹き飛ばされたという天主堂の鐘楼ドームが倒れて少し埋もれたような姿で残っているのです。重さは50トンもあるとか。目の前にしてもその大きさが十分わかりましたし、原爆の威力のすさまじさがどれほどのものだったのかを強く感じさせられました。 

この日も暑い一日で、飲み物を持っていたものの「冷たいものを買おう」と天主堂下のコンビニに行きました。3日間とも天気がよく本当に暑かった!
飲み物とハンドタオル、日傘が手放せない3日間でした。

歩いて行く途中で、ちと様が「この辺りも原爆で焼け野原だったそうですが、この場所に住んでいなかった人達が焼け野原になって何もなくなったここに来て「ここに住んでいた」と言って住み始めたそうです」というお話をして下さいました。
それほど何も無くなってわからないような状態になっていたんだということが想像でき、また、家族や知り合いの方が亡くなった方々が多かったと思いますし、焼け野原になったこれまで自分が住んでいたところには住みたくなかったからそうしたのだろうかなど、私なりにいろいろ考えました。


ゆっくり歩いて20分くらいだったでしょうか、『長崎原爆資料館』へ。
建物の中に入ってみると以前来た時とは違う感じがし、展示物も少なくなっているような気がしたので、ちと様にお聞きしたところ、建て替えられたのだそうです。あまりに悲惨なものが多いという意見もあって展示物が少なくなったということもあったそうです。

それでも原爆の熱風で軒下の板に焼きついた物干し竿やシャツ、葉っぱの形、折れ曲がった鉄骨や途中から折れるように壊れた石の階段、炭化したお米が入ったお弁当箱、溶けた万年筆やビン、血の跡がついた破れた衣服、そして被爆後の街の様子や黒こげになって亡くなった方、皮膚が焼けただれた人々の姿…ちゃんと見ておかなくてはいけないと思いながらも見ることができない写真の数々もありました。

熱風で溶け、やけただれたガラスのビンなどを実際に触ることができるところもありました。
ここでは「ビンがこんなになってしまうんだよ」と小学生くらいの男の子にビンを触らせて話をしているお父さんを見かけました。なかなか触ることができないものですが、実際に触って感じることができるというのはいいことではないでしょうか。

見終わった後にちと様、きーまま様とイスに座って少し話したのですが、「まず普通のガラスビンを持たせてみて、どれだけ頑丈なものかを知らせた後にあの溶けたビンを触らせるとどれだけ熱風が強くてすごいものなのかがよくわかると思う」ときーまま様がお話されていらっしゃいました。

原爆資料館を出たところに“チリンチリンアイス”と書かれた小さな屋台がありました。屋台の中にはアイスが入った大きな寸胴鍋のような金属の入れ物があり、金属のヘラを使っておばちゃんがコーンにアイスをのせてくれます。

福岡の番組で見たことがありました。資料館に入る時に「ここにもあるんだ」と思ったのですが、ちと様が「食べませんか?」とおっしゃって下さったおかげで(笑)食べることができました。
暑かったですから食べたいと思ったこともあるのですが、このアイス、コーンにのせる時におばちゃんがバラの花にしてくれるのです!それは手際よく作ってくれました。食べてみるとミルクセーキのような昔懐かしい味で少しシャリシャリとしたシャーベットのような食感です。あっさりしていておいしかった!
ちと様に「このアイス、昔からあるんですか?」とお聞きすると「子供のころからありました」と。
うらやましい〜〜〜
そしてこのアイス、なんと100円!他の観光場所でもこのアイスの屋台をいくつか見かけました。
(写真を撮ったのはよかったのですが、ちょうど影になってしまっています。早くしないと溶けるとアセってしまいました(笑))